絵文字に性別があるの、ちょっと気になる

こんにちは!あやっぺです。

プライド月間(6月1日〜6月30日)が近づいてきましたね!
プライド月間とは、LGBTQ+の人たちの権利や多様性について考えたり、可視化したりするための期間です。

その期間を目前に、日常の中で感じた小さな違和感について考えてみました。

いろいろと勉強中なので、適切でない表現がありましたらやさしい言葉で教えていただけるとうれしいです。

はじめに

土下座の絵文字ってあるじゃないですか。

‍♀️

これです。

あやっぺは公私さまざまな場面で、「お願いします!」みたいなニュアンスでこの土下座絵文字をよく使うんですけれども、使うたびに感じていることがありました。

今日はこの土下座の絵文字について、あやっぺの「思うところ」を分解して、整理してみます。
これはネタバレですが、最終的に「シスジェンダーである自分の特権性に気づく」に至りました。

土下座絵文字で毎回一瞬詰まる

土下座の絵文字をはじめとした、「ジェスチャー系統」の絵文字って、3タイプありますよね。

‍♀️‍♂️

左から、女性の土下座‍♀️、男性の土下座‍♂️、ジェンダーニュートラルな人の土下座です。

わたしは毎回「どれにしよう、わたしは女性だからとりあえず‍♀️にしておこうか? いや、別になんでもいいか……」という一瞬のノイズに毎回小さく悩まされていました。

どれでもいいと思っているのに、毎回3つの中からひとつ選ばなければならないから。

動作の絵文字に性別があることへの違和感

この土下座の絵文字、どうしてジェンダーに合わせて3パターンも必要なのだろう、と思っていたんですね。

なぜなら、土下座はアクション(動作)であり、ジェンダーは関係がないはずです。
別に、女性の土下座、男性の土下座、ニュートラルな土下座というものが存在しているわけではない。

土下座に性別も何もあるか!!!


それに、「ジェンダーニュートラルな絵文字」についても、少し思うところがあります。

上の絵文字を見て「ジェンダーニュートラルな人だ」と判断できるのは、相対的に男性・女性の絵文字が存在しているからだと考えています。

‍♀️‍♂️

3つ存在しているときに、女性・男性・ニュートラルな性 とわかるのであって、

この絵文字だけが単体で存在していたときに「ジェンダーニュートラルな人だ!」となるでしょうか。
わたしは、ならないなって……。

相対的な絵文字、という構造になっていると感じます。

が悪い!とか、そういった話ではありません。
中立性のあるがあることで男女二元論に一石を投じてられている感じがするので、歓迎すべきことだと感じます。

ただ……そもそも、先に書いたように土下座はアクションで、ジェンダーは関係ないので、絵文字にジェンダーの区別を付与しないだけで、誰でも自由に使える、ジェンダーニュートラルな土下座が成立するのではないか、あやっぺはそう思ったわけです。

選んでいるのか、選ばされているのか

シスジェンダーであるあやっぺでさえ、3択に小さくノイズを感じるくらいです。

アクションの絵文字にジェンダーの区別があることで、
自身のジェンダーに悩んでいる人は、絵文字を使うたびに苦しいのではないかと思ったのです。

例えば、社会的には男性として扱われるトランス女性がおられるとして

そのトランス女性は土下座絵文字を使うたびに、
自分の性である‍♀️を使うのか、社会から男性として扱われる中で‍♂️を使うのか、
中立的なを使うのか、毎回自分の性別と向き合うことになりますよね。

社会的・身体的な性別移行の過程などもありますから、わたしには想像しきれないような、さまざまな葛藤や苦しみがある状況だと思います。

そんなのって、つらすぎるじゃないですか……!

自分が悩まずに済んでいるのは「特権」かもしれない

ということを考えたときに、気づいたんです。

「どれにしよう、わたしは女性だからとりあえず‍♀️にしておこうか? いや、別になんでもいいか……」

絵文字の性別を「なんでもいい」と言えたり、気にせずどれでも使えたりする感覚は、当たり前ではないかもしれない、と。

あ、これ、特権(=社会の中で多数派として扱われることで、無意識に得ている有利さ)なんじゃないのか、と。

「特権」についての考え方は、行政資料などでも社会構造の観点から説明されています。
松江市人権啓発広報紙「Only One」 第22号

選択できることの意味や価値

同時に、こうも思ったのです。

先に書いたように、やっぱり選択肢があることで、葛藤や苦しみが発生する人もいるかもしれない。
けれど、それと同じくらい、自分の性別を表現する手段にもなり得るのではないか。

例に挙げたトランス女性の話でいくと、社会的に表層に現れているのは男性性であったとしても、
絵文字では女性土下座の絵文字を使うことで、自分の性別を表現する機会になるかもしれない。

その機会の存在価値って、マジョリティ=シスジェンダーであるわたしが判じていいものじゃない。

おわりに

今回は、土下座絵文字の「ジェンダー」について考えましたが、「肌の色」についても近いことが言えるのかもしれません。

絵文字は、社会の設計でもある気がします。
最初は黄色い肌タイプだけであった絵文字に、いろいろな肌の色が追加されました。
最初は男女タイプだけであった絵文字に、ジェンダーニュートラルな性の絵文字が追加されました。
マイノリティが可視化されたり、アイデンティティを表現したりできる形に進化していっている。
これは、素晴らしいことだと思います。みんなが、自分を表現していい。表現しなくてもいい。

選択肢というのは、選ばなければならないことでもあり選べることでもあるんだなと思ったんです。
誰かにとっては大変なことで、誰かにとっては価値のあること。

今回のことを受けて、あやっぺは、これからどうやって土下座絵文字を選ぼうか。
わたしは自分の性別に違和感がないからこそ気にせずどれでも使えるけど、そうでない人には毎回選択の葛藤があるかもしれない。

‍♂️‍♀️

気にせずどれでも使い続ける人間がその場にいたら、こっそり絵文字で自身の性別を表現したい人の心理的ハードルは下がったりするのだろうか。

結局、どれを選んでもいいし、選ばなくてもいい。
でもたぶん、わたしたちは、これからもこういう小さな選択をしながら生きていくんだと思います。

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